アメリカ一人旅
第25回関東地区卒業生の集いでは、東京支部の皆様には大変お世話になりました。私たちメンバー5人に大事な記念すべき集いの場で、日頃のダンスを披露させていただく機会をいただき今も感謝しております。そのあと、卒業旅行も兼ねてアメリカに行ってきました。アメリカでは外大の先輩を訪ねることもできました。そのレポートを以下に紹介させていただきます。
2013年8月26日、JFK空港に着きました。初めてのNYなので少しばかり緊張しました。でも、すぐに慣れることができました。着いてすぐにタクシーで宿泊先の「ゲストハウス」があるブルックリンへ向かいました。駅のすぐ近くの「ゲストハウス」ですが、こじんまりとした家でした。そこでは沢山の友達ができました。オーストリアやトルコ、アイルランド、ドイツといった色々な国から来た人たちと仲良くなりました。1人の東大生とも出会いました。
次の日、東京支部の先輩からご紹介を頂いたニューヨーク在住の甲斐健さんという大先輩とお会いしました。場所はマンハッタンのステーキ屋さん。レストランに入ってすぐに甲斐さんを発見しました。ランチをご馳走いただけるとのことでしたが、いきなりウィスキーのストレートを振る舞っていただきました。空腹にはだいぶきました!
甲斐さんの他お二人の方とランチをご一緒させていただきました。東宝のブロードウェイ担当の方と近畿日本ツーリストの方と僕を含め4人での食事会でした。このような場所に学生の僕が一緒に食事できてお話を聞ける事は本当に貴重な事で、一秒一秒が大切な時間でした。人と人の繋がりの大切さを改めて感じた日でした。その日は僕の誕生日でしたので、ロウソク付きのケーキまで頼んでいただきました。とても素敵な一日でした。時間はあっという間に過ぎ、4時間のランチも終わりその場でお別れをしました。甲斐さんは想像していたよりもとても気さくな方で笑顔が素敵でした。あのような方に僕もなれたらなと思いました。
その後、ブルックリンのゲストハウスに戻ったのですが、友達と合流するため、イーストハーレムのゲストハウスへと移り、そこで一週間滞在しました。アポロシアターやマルコムX通りなど以前から行きたかった場所へも行くことができました。ダンスの本場でレッスンも受けてきました。ひとつ悔いがあるとするならブロンクスへ行けなかった事です。絶対行くなと止められました。次は行きますが。
NYは12日間ほど滞在し、その後マイアミとオーランドへ向かい、サウスビーチやユニバーサルスタジオを楽しみました。そこでは5日間ほど滞在しました。眠る事を知らない町、ラスベガスへも行きました。宿泊先はCAT HOUSEというホステルで、そこでも多くの人と出会い多くの経験をしました。ショッピング、カジノ、マフィアミュージアム、幼稚園(これは色々と訳があります)などなど。もう一度行きたいです。とりとめのないな内容となってしまいましたが、大学の大先輩にお会いできたこと、また、多くのアメリカでの人との交流をもてたことは貴重な体験となりました。
英米語学科4回生
外大ダンスサークル元部長
沢田 潤
ダンス海外武者修行 〜ニュージーランド&アメリカ編〜
ダンスサークル部長、英米語学科の沢田潤と申します。今は元部長といった方が正しいです。つい最近、新しい部長に世代交代したところです。今回は海外でのダンス経験を書かせていただきます。
海外はアメリカに2ヶ月とニュージーランドに10ヶ月滞在しました。アメリカでの経験ですが、まさに夢ののようでした。自分の憧れのダンサーに会う事ができ、さらに彼らのダンスレッスンを受ける日々を経験できたからです。言葉が通じなくともダンスでコミュニケーションをとる事ができました。踊りで彼らと会話し楽しみました。普通に言葉で会話してるよりもすぐに馴染み仲良くなり、いい関係を作る事ができてすごく いい経験を させてもらいました。
僕が通ってたスタジオはカリフォルニアのLAとSan Diegoにあります。正直、語学学校に通ってるよりも、現地のコミュニティーに飛び込み輪を広げていくほうがより充実感もあるし英語も自然と身につくと実感しました。現地の文化や習慣を肌で感じるのに一番適してると思います。その中でも結構思い出深いのが、LAにあるChinese Theaterのまん前でストリートダンスをしたことです。たまたまそこでダンサーがパフォーマンスをしていたとこを通ったら、いきなり「お前!ダンサー か?」と話しかけられて、「YES」と答えたら、いきなり輪の中にいれられ大勢の前で踊る事になったのです。とても突然でしたがめちゃくちゃ楽しかったです。ダンスは言葉の壁を越え、世界共通のコミュニケーションだと肌で実感した瞬間でした。とにかくアメリカでのダンス留学は常に驚きと感激の連続でした。自分の憧れのダンサーに会え、ダンスを教えてもらい、友達にもなれました。刺激をたくさんもらい今後の自分のダンスや進路に大きく関わる経験をさせてもらいました。
次はニュージーランドでの留学ですが、僕は現地のPerforming Arts Schoolに入学しました。そこでダンスや健康科学など学びました。日本人は僕だけで、あと全員はネイティブの人です。英語環境にはもってこいの場所でした。でも色々と苦労はありました。僕はNZでもダンススタジオに行きました。色々なスタジオに行き、多くのダンサーに出会い、多くの友達を作りました。片道1時間半以上もかかるスタジオもありました。しかしずっと通っている内に、自分のダンスを認めてもらい、NZで有名なダンサーと同じ舞台で一緒に踊ることができました。自分でも信じられないぐらい感動して涙しました。その時僕は自分が今までしてきたことが間違いなかったんだなと強く確信しました。今でも彼らとはメールや連絡を取り合ってる仲です。その中でも特に仲の良か ったダンサー、Josephが「今度一緒にYoutubeに載せるdance videoをとるけど潤も踊らないか?」と誘ってくれ、撮影することになりました。Youtubeで「The weekend sound vision」と打てば、一番上にそのVIDEOがでてきます。本当にダンスを通して色々な人と出会い、色々な経験ができ、またそれが人生の宝物になってます。今後ともその糧を生かし世界へ羽ばたける人間になりたいです。
早く就活を終わらせ、次はヨーロッパにダンスしに行きたいです。
英米語学科4回生
外大ダンスサークル元部長
沢田 潤
東京支部先輩の皆さん! 外大のダンスサークル「ACTION」をご紹介させていただきます。
はじめまして。京都外国語大学にあるダンスサークルのACTIONです。僕たちのサークルは結成して今年で4年目になります。僕達(現4回生)が入学した年の2009年にサークルを立ち上げました。当時僕達が入学した時にはダンスサークルがありませんでした。その時一回生だった僕たちには衝撃でした。それで僕らはダンスしたい人を集めサークルをつくる事を決めたのです。初心者、経験者関係なくダンスしたい人はたくさんいたので人数は約20名以上がすぐに集まりました。ACTIONという名前もその時に決めたもので、何事にも「行動」を起こす。自ら行動をし、チャレンジしていくというのがACTIONのモットーみたいなものです。
でも最初の年は苦難でいっぱいでした。サークル申請をだしても回生ごとに均等な人数をあつめろだの、学校の行事や文化祭で踊り終わったら価値観の違いか大半のメンバーは辞めていき、人間関係やサークルに対する思いなどがばらばらになり危うく解散間際まで追い詰められた事も多々ありました。本来の目的であるダンスを楽しむことが出来ない状況でした。でも何度も話し合い、残ったメンバーで諦めずダンスサークルを続けていく事を決めこれからの目標、そしてダンスサークルがどうあるべきか自分たちなりに考えました。そして翌年の2010年に後輩が初めてできサークルがより活発になり、また責任感というものも自然とついてきました。この年にしたパフォーマンスがうけ、サークルの申請もはやく進めてもらえるというとても嬉しい事がおこりました。本当続けてきて、ダンスをやってきて良かったと心の底から思いました。そして正式には去年の2011年の春にきまりました。
そしてメンバーは毎年増えていき今現在は約60近くいます。そしてその7割は女の子です。やっぱり外大ですからね。でも今は新入生含めサークルを立ち上げた4回生まで和気あいあいと楽しくダンスを楽しんでます。僕らのサークルの自慢はとては皆仲が良いです。中にはACTIONがなければ学校に来てないと言う人いるし、ダンスサークルがなかったら学校にすら入学してないという人もいます。ダンスだけでなく勉強面でもお互いに助け合い、先輩後輩っていう壁がないんです。皆兄弟姉妹みたいなものです。これからの目標としては何かACTIONとして形を残していきたいですね。具体的にはまだよくわかりませんが、どんなことでもいいと思います。そしてやっぱり外国語大学なのでダンスを通して全国、世界にいつか発信していければと思います。
英米語学科3回生、外大ダンスサークル部長 沢田潤