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懐かしき我が京都外大サッカー部 (2011.01.20)サッカー部写真(野中)

京都外国語大学サッカー部は、創設以来50年の歴史を刻もうとしています。これを機に、2012年3月を目指し、創部50周年の記念誌を発行する計画をしております。このような時期に、校友会東京支部からサッカー部の紹介記事を投稿するよう依頼を受けました。

私は、日本原子力発電(株)という外大関係者には、やや縁遠い業界の会社に勤務しております。入社以来35年が経とうとしています。これまで前ばかり見ていた会社人生だったので、投稿依頼は若き良き時代を振り返る絶好の機会と考え、引き受けることに致しました。

さて、私は昭和45年にドイツ語学科に入学をしました。入学と同時にサッカー部に入りましたので、当時から41年が経過したことになります。今年、齢還暦を迎えますが、私の人生の大半は、外大サッカー部との関わりがあったといえます。

このように縁深い関係にありながら、入学当時はサッカー部に入る気持ちは全くありませんでした。何故なら、せっかく外大に入学したのだから、勉学に勤しもうと思っていたからであります。中学からサッカーを経験してきた私は、サッカー漬けの毎日だったそれまでの生活に嫌気がさしていたことも要因の一つだったような気がします。

学生時代を振り返ると、新しい語学であったドイツ語の勉強も中途半端、また、サッカー部活動も中途半端という結果となってしまいました。それは1年間休学しオーストラリアに遊学に行ったことが原因でした。ドイツ語会話より英会話がほんの少しだけ上手くはなりましたが、両方とも中途半端、当然のことながら、その間サッカー部にはご迷惑をおかけするという結果となり、これもまた自分勝手で中途半端なサッカー部員となってしまいました。

それでも、サッカー部OBからは、社会人になった中途半端な私に対しても隔たりなく励ましの声をかけていただきました。私は、外大卒業後は東京近辺の勤務となりました。時折、東京で開催されるサーカー部のOB会に参加したことがきっかけとなり、多くの先輩方と再会いたしました。西川先輩(日本旅行勤務)、香山先輩(帝國繊維勤務)、畑中先輩(当時トヨツー勤務)には、いまだに公私にわたりお世話になっております。

学生時代に、試合で悔しい思いをした経験や合宿などで寝食を共にした仲間は、特別な関係にあると思われます。それは、顔を合わすだけで「懐かしさ」という感情が心に漂うからだと考えています。何故か、子供の頃に過ごした故郷に対する懐かしさに似ているような気がします。この感情は生涯消え去ることがないものであり、むしろ年齢を重ねることにより増長して行くものだと思われます。

私は、社会人になり中央大学、明治大学、上智大学の大学院で学びました。仕事の関係から語学だけでない専門性を求められたからであります。中央大学では総合政策研究科で「電力自由化と原子力政策」に関する研究を、また、明治大学では経営学研究科に所属し「公益事業の経営哲学」について学び、上智大学では地球環境学研究科で「放射性廃棄物の負担原則」を勉強し、それぞれ論文を修めました。つまり、私が生業とする原子力発電を政策学、経営学、環境学という三つの視点から総括しようと考えたのです。一昨年になりようやく当初の目的を達成しました。もしかすると、中途半端だった学生時代の穴埋めだったのかもしれませんね。

我が京都外大は小さな大学ですが、私が学んだ三つのメジャーな大学と比較しても、優秀な人材の割合は決して劣っていないように思います。「不撓不屈」の姿勢ではむしろ一枚上であります。これからも、外大卒業生が芥川賞作家の赤染さんのように、世の中に貢献している姿が数多くみられることを期待しております。最後になりましたが、サッカー部の恩師である辻先生がご健勝で、京都外大及び同サッカー部がますます発展していくことを心より願っております。

(S.49年度卒 野中 洋一)




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