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日本で「本物」のメキシコ料理に感動(2011.01.17)

スペイン語研究会OBの、登川です。
当ホームページに様々な卒業生が寄稿していますが、その中で感慨深いコーナーが、ザ・連載の「メキシコ料理へのアプローチ」です。

学生時代に、メキシコ合衆国グアダラハラ市にある私立グアダラハラ自治大学に派遣留学していました。メキシコでの86年ワールドカップ終了直後に渡墨し1年間滞在、帰国後半年で卒業し、大阪市内で就職しました。
就職して2年目、東京に飛ばされた(意志に反しての転勤)後の出来事です。その頃、困った発作が起こりました。

やたらと「メキシコ料理を食べたい!」

その思いが強くなり、ひと月に1回くらいのペースで友人を誘っては東京周辺の色々なメキシコ料理店をまわりました。東京都内では、明大前、原宿、御徒町、四谷、西葛西などなど、中にはチェーン店や似たような店名もありました。(今もあるのかな?)

多くの店をまわった後に辿りついたお店が、ザ・連載でお馴染みの「ラ・カシータ」です。最初にこのお店に出会ったのは、「地球の歩き方」に掲載の記事でした。記事を読んだら行きたくなり、当時はインターネットが普及してなかったため、地図を片手に聞き込みによりお店を発見。

初めて食事をした時、「本物」を実感しました。これは本格的な料理店と確信してから足を運ぶ回数が増え、お店に行く度に違う友人を連れて行くようになりました。

他のお店との違いは、まずトルティージャ。まず、これに感動。
ラ・カシータでは本場と同じく原料がとうもろこし。他の店での原料は小麦粉が主流で、まさにアメリカンスタイルです。(タコベルなど)メキシコで主食のトルティージャの味がまったく違うのです。日本国内(東京都内)のお店が、アメリカ経由のメキシコ料理である中で、メキシコをそのまま日本に持ってきた店が、まさにラ・カシータです。

次に、私がラ・カシータでの食事でびっくりしたのは、「料理が冷めても美味しい」こと。これには脱帽。友人と多く語りながら食事をするため、テーブルに出た料理は、当然徐々に冷めていきます。しかし、その美味しさがそのままであるのは不思議です。

何度がお店に行くうちにオーナーシェフが先輩であることを知り、びっくりした記憶があります。しかし、当時は社会人になったばかりの20代の頃、大先輩に声掛けする勇気がありませんでした。(今では歳をとったのか、ずうずうしくなり、平気?)
2009年に、校友会から派生する別グループのメンバー同士10人くらいでお店に行きました。思いおこせば、公私とも多忙が続いていたため少なくとも十数年もラ・カシータに来ていなかったため、久々の訪問でした。その時に渡辺オーナーと初めて名刺交換し、話しをさせてもらったことがとても感慨深く、また嬉しかったです。

2010年12月30日、年内最後の営業日の夜に、メキシコ料理が初めてという人と仕事の打ち合わせを兼ねて食事をしました。渡辺オーナーからも料理やお店の運営等を、テーブル席でいろいろと話しをしてもらいました。チョコレートが原料として有名なモレ・ソースについて、知られざる真実を聞きました。実はチョコレートの使用量は僅かで、原料のほとんどが「とうがらし」とのこと。まだまだ知らないことがあると、目から鱗でした。

年末のその日も話しが弾み、夜7時に入店したのに最後に店を出る客人となってしまいました。お店に連れてきて一緒に食事をした人も感動したようで、帰り道やその後のメールでお店の話しで持ちきりとなり、楽しい年末を過ごせました。

日本で本物を追求したからこそ、多くの人に支持されます。年末にお連れした人も、本物のメキシコ料理に満足されたようで、紹介した私自身も嬉しくなりました。

「本物」ということは、どの分野においても最強なことだと思います。
ラ・カシータで懐かしい学生時代の味に出会ってからは、メキシコに再訪しなくても美味しいメキシコ料理が日本にあるので、これからは発作がでても困りません。しかもそのお店のオーナーが大先輩であるという強みもあり、お店で楽しく会話しながら食事を楽しめます。

もっともっと多くの人に、本当のメキシコ料理を知ってもらいたいと思います。
皆様もぜひ一度は、ラ・カシータに足を運んでみてください。期待を裏切らない、また発見の多いお店です。

(昭和62年度イスパニア語学科卒 登川治郎)


中川健二さんからのメッセージ

みなさんこんにちは。
OBの中川健二です。

埼玉県さいたま市にあるレンズメーカー、タムロンで16年働いています。
海外営業なので、海外出張は多いです。 今まで仕事でありがたいことに、スペイン語圏ではメキシコ、コロンビア、パナマ、スペインなどへいかせてもらいました。 仕事の会話は英語ですが、スペインが話せるおかげで、現地のお客さんに気に入られています。もうおじさんですが。。(笑) 16年の間に香港とイギリスに駐在させてもらいました。

さて、大学時代のスペイン語研究会の活動というものは、やはり私にとって忘れることができないくらい重要な楽しい記憶の一部です。
新入生歓迎コンパでつぶされたこと、弁論大会、夏合宿、語劇、関西スペイン語連盟、メキシコ留学など。。 中身の濃い4年間でした。
厳しい先輩や面白い先輩に育てられ、その教えをまた後輩に伝えていく。すばらしい活動でした。スペイン語のおかげて現在の自分があるという感じです。

今でもみなさんが 我々の活動を引き継いでこられていることを非常に嬉しく思います。 
現在は 関東にいてなかなか 大学へも行くことができませんが、もし京都へ行くことがあれば、またみなさんにお会いしたいです。

中川健二 45歳
埼玉県坂戸市在住


「西語研究会」の経験後、南洋の島でスペイン語に遭遇!

京都外国語大学スペイン語研究会OBの、登川治郎(S62年度イスパニア語卒)です。
クラブは文化部会に所属し、呼称で「スペイン語研究会」、略して「スペ研」と学内では呼ばれていました。カタカナで“スペイン〜”とありますが、正式な文章や手紙に押印する角判には、漢字で堂々と“西語研究会”とあったのを、風格があるなぁと学生の頃から思っていました。元々の学科名称はイスパニア語学科、これも他大学のような「スペイン語学科」というよりもアカデミックな響きがあり好きでしたが、時代の流れか学科名が一般的な「スペイン語学科」に変更となり現在に至っています。

さて、学生時代にスペイン語研究会で鍛えたスペイン語は、社会人となって、忘れた頃に活躍することとなりました。金融機関のSE(システムエンジニア)として海外システム(勘定系端末部門)の導入でスペイン本国のマドリッド、アメリカのニューヨークに週や月単位で出張に行き、現地オペレータとの何気ない会話がスペイン語でできたことは、下手な英語を補うには十分でした。特にヒスパニック系の多いニューヨークでは、予想外に街中でもスペイン語が使えるため、苦労せずに生活できました。

現在ではSEから足を洗い、サイパン島の公立大学「北マリアナ大学」で日本事務局を担当しています。仕事を始めてから気づいたことですが、サイパンを含む南洋の島々でも、スペイン語が聞こえてくるのです。

種明かしは、歴史にありました。サイパンを含む北マリアナ諸島やグアム方面には、チャモロ族が先住民として生活していました。スペインの統治時代、言語にスペイン語を取り入れたチャモロ語が発達し、現代社会ではアメリカ合衆国内という英語圏ではありますが、地元の人だけの会話はチャモロ語になります。また、英語にも時々チャモロ語が混ざるのですが、スペイン語にお馴染みの「todo」(allの意味)や語尾の「〜, no?」(〜, isn’t it?)など、異国の中の異国という感じがします。もちろんサイパンは英語の国ですから、生活はすべて英語で、生活様式はアメリカ式ですが、アメリカ大陸によく見られる地域毎のコミュニティーとして、チャモロ文化を持つ地域です。

学生時代にスペイン語を真剣に勉強していたからこそ、思わぬ場所で思わぬスペイン語の出会いに気づくのだな、と思い、偶然とはいえ面白いものだと感じています。

サイパンを含む北マリアナ諸島は、2009年11月下旬に自治政府を持つ連邦国(北マリアナ諸島連邦)から、完全にアメリカ合衆国に移行しました。今後は徐々にアメリカ合衆国としての法律に移行します。まさに日本から一番近い英語圏、かつアメリカとなりました。
サイパンは、リゾートで英語研修ができる近場として人気があり、治安の良さから学校からの修学旅行の渡航先としても選ばれています。また、パックツアーや旅行等に組み込める英語研修や、カレッジ・キャンパスの案内等、プチ留学の要素をオプションで提供しています。家族揃って英語レッスンを受講することもあります。観光地ですが、一歩島の内部に入ると英語圏特有のアメリカの生活スタイルがあり、日本から気軽に英語を試すことができるデスティネーションです。

ご興味のある方は、ぜひホームページをご覧ください。



リンク先:
京都外国語大学 スペイン語研究会



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